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シマッチュ先輩の情熱教室

■文と写真 渡辺陽介
先日、東京在住の若手シマッチュとしーまブログが共催で、本土復帰60周年を記念して、東京でイベントが開催されました。その名も「シマッチュ先輩の情熱教室」!!
シマッチュ先輩の情熱教室

シマッチュ先輩の情熱教室


シマッチュ先輩の情熱教室



シマッチュ先輩の情熱教室
イベント冒頭の「しーま編集長」挨拶では気合いのあまり話が長くなりすぎてしまい(すみません)、会場全体が吉本新喜劇的にズッコケてしまいました。
しかし、それもこれも編集長渾身の企画だからこそ。20代の頃、人生のどん底で感じた「島の先輩の話が聞けたら」という想いが、ようやく形になりました。




シマッチュ先輩の情熱教室
記念すべき第一回の「シマッチュ先輩」は、奄美を拠点に世界で活躍されている園田明先輩。なんと当日、奄美大島から駆けつけて下さいました。


イベントは東京の「世田谷ものづくり学校」で開催されました。前半は園田さんの業績をビデオにて鑑賞、その後、講演をして頂きました。後半は奄美出身のシンガー・我那覇美奈さんをインタビュアーに、園田さんとのトーク、来場者との質疑応答の時間。イベント後は懇親会が開かれ、来場のシマッチュ同士の交流が深まりました。楽しかった!

なお、園田さんにはもっとたくさんのお話をして頂きたかったのですが、時間の関係上バタバタとしてしまった事は心苦しい限りです。





◎園田明先輩とは…

園田さんは5年前にバスケットボールのブランド「バイオレーラ」(株式会社アイズ・カンパニー)を設立。その後わずか五年で奄美に本社、中国に工場を、それにカリフォルニア、鹿児島、埼玉、千葉に支社を構えるグローバルな企業へと成長させます。「バイオレーラ」は創立一年でABAバスケットボールリーグ「サクラメントヒートウェーブ」のユニフォームに採用、その後「レノヴァ鹿児島」ほか多数のチームに採用され、マーケットを広げています。同時に今でも、子どもたちに離島のハンディを感じさせないように、と奄美に小さなバスケショップをオープンさせた当時の原点の思いを持ち続け、島のために何ができるのか模索を続けています。

現在では同事業の他に、NPO法人「ASA奄美スポーツアカデミー」理事長、プロバスケットボールチーム「レノヴァ鹿児島」の球団代表にも就き、奄美から日本全国、アジア、世界を相手に日々活躍されています。



シマッチュ先輩の情熱教室
こうして経歴をご紹介すると輝かしすぎて何だか恐縮してしまいますが、実際にお会いした明兄はダジャレ好きのとても気さくな「アニキ」。ブランド「バイオレーラ」は「by俺ら(ばいおれら)」が由来らしく、園田さんのダジャレ好きはどうやら本気です。講演は熱いながらも終始笑いに包まれ、楽しいものとなりました。以下、講演内容を要約します。



■内向的な少年を変えた、バスケとの出会い

シマッチュ先輩の情熱教室
園田さんが現在、自信を持って自分の道を歩み続けているのは、バスケとの出会いがあったからです。

1歳の時に、英語が得意だった母と二歳うえの兄とともに沖縄から奄美に帰ってきた園田さんでしたが、当時の奄美には英語を使った仕事などなく、母子寮に住みながらの貧しい幼少時代を過ごしました。小学生になると、アメリカ製のアイロンでかけられたパリッとした服を着ていたことなどから辛いイジメの標的となり、追いつめられては海を見ながら「なんのために生きているんだ」と悩み続けました。

中学進学時に身長が140cmしかなかったことから、兄に「お前はバスケかバレー部に入れ、そしたら身長伸びていじめられんくなるから」と言われ、入ったのがバスケ部。それからは余程バスケが合っていたのか、背は伸び、友達はでき、三年生時には県大会でベスト4、高校では国体・インターハイに出場するまでになります。高校進学時に一年浪人するなど苦難も経験しますが、バスケで自分を変えられるんだというこの時の体験が、後の人生を大きく切り拓いていくことになります。

また、本土遠征時に感じた離島のハンデ、逆に離島だからこそ体験出来たさまざまなことが、現在でも奄美をベースに仕事をする原動力になっています。



■これぞシマッチュ先輩の情熱教室!

シマッチュ先輩の情熱教室
講演では、園田先輩が苦難の少年時代から起業後の格闘までを通して得た「気付き」を、キーワードごとに説明してくださいました。これから何かをやりたい!という人にとって、先輩の熱い言葉の中にはたくさんの大切な視点が詰まっていたように思います。以下、要点をご紹介。

▲向かってくる矢印は貰ってしまう
シマッチュ先輩の情熱教室
どうしても生きていると、陰口や文句を言われる場面に遭遇します。そんな時に、自分に向いてくる矢印をそのまま相手に返すのではなくて、その負の力も「ありがとうございます」と貰ってしまえばいいとのこと。真剣にそんなことを言ってくれるのはあなただけですよと言えば、その人は「いやいやあ、応援してるからよ」と言ってくれたりします。人に何を言われても、自分は言われるようなことをしていなければ、胸を張ればいいわけです。

そして、園田さんの母が言っていたのが「他人の成功は自分のことのように喜ぶ」こと。「そしたら自分が頑張ってよくなった時に、周りの人たちも自分のことのように喜んでくれるよ」。

これは次の項目、「自己受容」にも繋がる考え方です。



▲自分自身がどれだけ好きですか?「自己受容」のはなし


「自己受容」は出来ることも出来ないこともひっくるめて、どれだけ自分を好きでいられるかということ。会場に「自分自身を100%好きという方はいらっしゃいますか?」と園田さんが問いかけると、ちらほら手が挙がります。「じゃあ、90%の人」「80%」…「50%以下の人」。それぞれに手が挙がります。

自分のことを70%好きな人は、残りの30%の自分を受け入れられない。そういう人は他人に対しても同様に、他人の30%の部分を受け入れられないのではないか、というのが園田さんの考え。

つまり、100%自分が好きで「自己受容」が出来る人間になれば、他人をも理解出来る「他者受容」に繋がっていくということです。むむう、これは難しいけれど、真実かもしれない…みなさんは自分の何%を好きだと言えますか?

もっとも他者受容といっても、ただ他人に賛成するのではなく、例えば怒っている人に対してナンデ怒っているのかね、この人は、と相手の気持ちを少しでも理解するような気持ちになった時に、他者への声掛けや自身の考え方も変わってくるといいます。

▲大変=「大きく変わる時」

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小学生は勉強が大変、弟妹がいれば世話が大変。大変という言葉にはマイナスのイメージがありますが、実は「大変」を乗り越えた時に自分が大きく成長できていると考えると、大変な時があったほうがいい。「大変」は自分に与えてもらった試練であり、チャレンジして乗り越えればもっと大きな自分に巡り会えると考えたほうが得ですよ、とのこと。

大変=「大きく変わる時」と考えれば、壁をマイナスのイメージとして拒否することなく、挑戦する心が芽生えます。

▲「イメージング」と「念ずれば花開く」


シマッチュ先輩の情熱教室
母子寮にいた幼い頃、おもちゃを買えなかった園田さんはチラシの切り抜きを厚紙に貼って、それをポケットに入れて遊んでいるイメージをしていたそうです。

ああなりたい、これが欲しい、と思い続けていれば、自分がそうなるための情報が自然にアンテナに引っかかってきます。思わなければ素通りしてしまう宝の山も、本気でそう思うかどうかで「宝の山」に見えたり、ただの「ゴミの山」に見えたり、全然違ったものに見えてきます。

そして、思い続けたらただ思うだけではダメで、当然、一生懸命努力することも大切。園田さんの好きな言葉は、

「念ずれば花開く」

だそうです。前述した「イメージすること」「努力すること」はもちろん大切ですが、この言葉でもうひとつ注目したいのが「念」という字です。金八先生の「人という字はぁ~」ではありませんが、「念」の字は「今」の「心」と書きます。

過去を引きずるでもなく、明日を心配するでもなく、「今」を生きることの大切さを園田さんは強調します。「今」の積み重ねが明日を創っていくわけです。

「いま頑張らんでいつ頑張んのっち 今だろっちって!(ビシッ)」

この決めゼリフ、園田さんは当日、三回ほど言っていました。むしろ、このセリフを言うために会場に来たそうです。ちなみにオリジナルだと主張されていましたが(笑)、気のせいかどこかで聞いたような気もします。

■暗い顔をしないこと!

シマッチュ先輩の情熱教室
さて、奄美の六畳間からスタートし、素晴らしい実績・業績を残し続けている園田さんですが、ご本人は「何もしていない」と謙遜されます。曰く、たまたま巡り合わせで中国工場の息子さんと知り合ったり、素晴らしいデザイナーさんが手伝ってくれたり。自分がスゴいわけではない、と。

ただ気をつけているのは、例えお金がなくとも、決して暗い顔をしないことだそう。人間はどこで誰と繋がっているかわからないので、暗い顔をしていたら話しかけられなくなってしまい、出会いの機会を逃すことになるからです。こ、これは身につまされる話です…。

■奄美について
仕事を通して離島のハンディの解決法を模索しながら、世界にも目を向ける園田さん。最後に、現在の奄美の置かれている状況について、奄美に拠点を置くことにこだわり続ける園田さんならではのお話を。

園田さんが奄美にこだわる理由は、何よりも奄美に住む素晴らしさを感じているからこそ。「離島のハンディ」というのはよく言われますが、奄美に住んでいるからこそ出来ることもたくさんあり、それらを奄美から発信していくことは素晴らしいとおっしゃいます。

奄美は「へそ」だというのが園田さんの持論。地球は丸いビーチボールのようなものだから、東京や世界に元気がなくなったら奄美から空気を入れればいい。奄美は「アジア」という広い視点で見た時に、素晴らしい場所に位置しています。


シマッチュ先輩の情熱教室
今後世界はグローバル化し、発展するとしても、その根底では地域、地方がしっかりしたことができていないと当然、大きなことはできない、と園田さんはおっしゃいます。一人でやるのは大変ですが、奄美を思う気持ちを集結することによって、これからの若い人たちの力を合わせて、いろいろな物事を発信できる。人と人を結び合いながら何か物を生み出す事に携わって生きていき、自分を育ててくれた奄美に恩返しがしたいそうです。

■第一回「シマッチュ先輩の情熱教室」はいかがでしたか?
子どもにばかり夢を語らせないで、大人が夢を語れるように。そんな社会を大人たちがつくっていくためにも、会場に来てくれた若いシマッチュが夢を語り始めるきっかけになってくれれば。そんな「情熱」が少しでも伝わっていれば、第一回「シマッチュ先輩の情熱教室」はひとまず成功だと思います。(至らぬところはありましたが、楽しんでいただけましたか?)


おまけ・・・
■懇親会
講演後、園田さんを囲んで懇親会を開催しました。
黒糖焼酎を片手に、お互い初めて合う人も同郷のシマッチュということで大変盛り上がり、中々乾杯の音頭をとれないほど(^_^;)
次回は9月に開催予定しております。島と在京シマッチュとをつなげるキッカケになれば幸いです。
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