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第三回シマッチュ先輩の情熱教室 マザーホーム代表・深田剛の授業まとめ(1)

頼まれごとは試されごと マザーホーム代表・深田剛

第三回シマッチュ先輩の情熱教室 マザーホーム代表・深田剛の授業まとめ(1)


第三回の「シマッチュ先輩」は、島で住宅・建築を中心としてさまざまな事業を展開する「マザーホーム」代表・深田剛。平成23 年から25 年までの3 年間、奄美群島で一番多くの家を作り、同3 年間、木造住宅用アルミシャッター出荷量が日本一。そして介護、エネルギー、金融、不動産、IT など関連11 事業部、35 名の従業員を抱える40 歳の若社長…!

こうして記述すると絶好調のやり手経営者のように見えますが、そうではありません。実は深田剛は「しーまブログ」編集長・深田小次郎の実の兄であり、これまで数々のビジネスの失敗、どん底を側で見て来ているだけに、当初「関西在住シマッチュ実行委員会」から「シマッチュ先輩」への出演推薦を受けた際には恐れ多いこととして、お断りをしていました。

しかし深田剛の信条でもある「頼まれごとは試されごと」の言葉を胸に、何かしらお役に立てればとの思いから、嬉し恥ずかしの登壇と相成ったわけです。


第三回シマッチュ先輩の情熱教室 マザーホーム代表・深田剛の授業まとめ(1)
▲司会に抜擢された若手シマッチュ。会場には先輩方が多く緊張していたらしいですが、見事大役をこなす。


寝坊で土下座の役者時代
深田剛は大島高校卒業後に上京、専門学校で土木工学を学びます。しかしここでなぜか脇道に逸れ、役者の道へ。国立劇場で某有名歌舞伎役者さんの舞台にひっそりと出演したりしていました。役者生活では舞台当日に豪快に寝坊し、某有名歌舞伎役者に土下座をしたという武勇伝の持ち主でもあります。
やがて実業の世界に憧れを抱き、まずは23 歳で東京の建設現場で鳶(トビ)職に。しかし高所作業のあまりの過酷さに「図面が読めれば登らなくていい」という教訓を得て、夜間学校で建築士の資格を取得します。
25 歳で島へとU ターンし、父の会社(深田建設)へ入社。先行きの見えない島の土木・建設業界を舞台として、ビジネスをスタートさせます。

第三回シマッチュ先輩の情熱教室 マザーホーム代表・深田剛の授業まとめ(1)
▲今でこそスーツを着ているシマッチュ先輩ですが、若かりし頃には紆余曲折がありました。


第三回シマッチュ先輩の情熱教室 マザーホーム代表・深田剛の授業まとめ(1)
▲授業に聞き入る会場の皆さん。島のビジネスの話をじっくり聞けるのが、情熱教室の醍醐味。


失敗列伝、死亡説が流れた実業家初心者時代
20 代の頃から独立心こそ旺盛だったものの、当時の深田剛はビジネスのド素人。以下に、現在に至るまでの失敗
ビジネスの数々を挙げてみます。

・東京・神田の古本屋で「あなたの思い出の本探します」サービスを開始するも、一冊も見つけられず!
・黒糖焼酎の営業代行「ふるさとショップふかだ」失敗!
・東京の園芸店にソテツを売ろうと置いてもらうが枯れてしまい全滅!怒られる!
・ワインの空箱が売れることに気がつき渡米、ワイン箱を求めるも段ボール箱を渡され無念の帰国!
・リフォーム会社「ベンリー」を立ち上げるが一件の問い合わせもなし!
・新素材の住宅を扱うも1 棟しか売れず!


ついには31 歳の時に精神的に追い込まれぶっ倒れてしまい、死亡説が流れる程のどん底も経験します。やがて「8 勝7 敗」の人生により、なんとか現在のブランド母体「マザーホーム」を立ち上げ、軌道に乗せることとなるのですが、当時の失敗の連続から学んだ教訓、気付きが現在のビジネスを行う際の礎(いしずえ)、決断を迷った時の判断基準となっています。
次の記事では深田剛が七転八倒の末に獲得したビジネスの教訓をご紹介します。島でビジネスを、と考えている方には何かしら参考になる部分があるかと思いますので、是非ご一読下さい。


リンク:第三回シマッチュ先輩の情熱教室 マザーホーム代表・深田剛の授業まとめ(2)へ


文と写真 渡辺陽介


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