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第三回シマッチュ先輩の情熱教室 マザーホーム代表・深田剛の授業まとめ(2)


持ち前の独立心を胸に、数々のビジネスを立ち上げては潰して来た男、深田剛。その過程で得た教訓をまとめてみます。これらの教えは島ではもちろんのこと、広く日本、世界へと仕事を広げていく際にも土台となる考え方でもあります。


▲「この図書券欲しい方いますか?」深田から突然の会場への問いかけに、パッ!と手が挙がりました。頭より先に身体が動く人は、チャンスを捕まえやすい。「チャンスの神様には前髪しか生えていません」




▲前出の質問に咄嗟に手を挙げ、図書券をゲットしたのは「チョウハン君」。他にも積極的に質問をするなど、その前向きな姿勢に大物の片鱗?


小さな一番を積み重ねる
20 代で父の会社の印鑑と通帳、それに多大なる借金を受け継いだ深田剛。前途多難の先行きの中で、父から学んだ「島式経営学」が進むべき指針となります。

・借り入れをしてはいけない
・手形を振り出してはいけない
・下請けをしてはいけない
・相見積もりに参加してはいけない
・木造一本に徹する
・エリアは北大島のみで

これら一見キツい縛りのように見える「戒め」は、結果としてビジネスの焦点を絞ることへと繋がり、「マザーホーム」の強みを生み出していきます。始めはコンクリでも鉄骨でもなく木造だけ。工事エリアも北大島だけ。小さな小さな一歩を積み重ねて、それを土台に次のステップへと進む。小さな会社は小さく絞って勝負をしないと、勝ち目がありません。
また、下請けをしないという考えも事業の大きな推進力になりました。下請け仕事も大切な仕事であり、確実な収入を得やすい手段ではありますが、同時に他社に自身の生存権を握られているようなもの。立ち上げ当初は苦しくとも、自ら仕事を考え生み出し、それを育てていくことが大切になってきます。


▲勢いだけではなく、コピーライティングやマネジメント、マーケティング能力も自らの進む道を助けます。


お客さんと直接ビジネスを

昔の奄美は人口も多く商圏として独立性があったので、マーケティングはそれほど重要ではありませんでした。しかし現在では時代による社会構造の変化もあり、しっかりとしたマーケティング、メディア戦略を行なうことが重要になっています。そして大切なのが、顔が見える商いをすること。

例えば、島の銘品である大島紬。その品質が素晴らしいことはシマッチュであれば誰もが知るところですが、残念ながら産業としては衰退しています。衰退のひとつの要因として、大島紬が京都の問屋を介して売られていたことがあるのではないかと深田剛は考えます。

大島紬を扱う奄美側の業者が直接エンドユーザーとの繋がりを持っていなかったため、アフターフォローや新しい製品の紹介など、購入者との継続的な接点を持つことが出来なかったわけです。

これは建設業界、その他あらゆる業種にも言えること。消費者とフェイス・トゥ・フェイスで向き合いながらビジネスを行ない、継続的な関係を築いていき、それに加えて時代に即したメディア、広告戦略を織り交ぜていくことが大切になります。



▲20 代の若者に囲まれ記念撮影。今日の授業は参考になりましたか?



▲何事もまずは話をすることが人間関係の基本ですよね。


頼まれごとは試されごと
今では介護、エネルギー、金融、保険など11 事業部を持つまでになった「マザーホーム」。しかし決して拡大路線を突っ走っているわけではなく、「今困っているのですが、深田さんこういうのが出来ませんか」という周囲の声にその都度応えていたところ、現在のように多岐に渡る事業を行うまでになりました。

「頼まれごとは試されごと」とはよく言ったもので、他人からの頼まれごとは大きなチャンスであり、自身が目を向けていなかった新しい分野への挑戦のきっかけともなります。



▲飲みの場から生まれる出会い、頼まれごとも多数。こうした偶然の出会いを大切に。


ゆがみを見つける経営センス 奄美の強みを見極める

例えば介護事業では、利用料は介護保険により国が9 割、利用者は1 割の負担になります。当然、東京でも奄美でもお年寄りは同じ1 割負担となるわけですが、事業者側の視点で見ると、奄美では東京に比べて家賃、人件費、労務費等が格段に安く済みます。メガソーラー事業の土地、人件費なども同様です。

こうした経済の「ゆがみ」が見える人はビジネスに向いていると言えます。東京でやらずに奄美でやったほうが有利なビジネスというのは多数あります。離島だから奄美はビジネスに不利だと考えずに、奄美の利点、強みを洗い出してみることが大切です。



▲飲みが深まり、すっかり仲良くなった「情熱教室」一行。次回の集いも楽しみ!


足るを知れば富む
20 代から30 代前半にかけて自分を過信し、思いつくあらゆることをやっては失敗し、ついには倒れてしまった深田剛。どん底に落ちた時に初めて気がついたのが、親兄弟、家族がいる幸せ、そして身体が健康で自由に動ける幸せだったそうです。

ビジネスの世界では野心が尊ばれ、本能としてより大きな成功を求めてしまいがちです。しかし目の前にある幸せを知り、自分にとって本当に大切なことが何かを理解していれば、自ずとビジネスにおいても進むべき道が見えてくるはず。

若い頃の回り道や躓き(つまずき)があったからこそ、現在の島の生活に有り難さを感じ、シマッチュとしてのスピリッツを持って生きていける。今後、島の内外で活躍していくであろう大阪・シマッチュを前にして深田剛が伝えたかったことは、目の前の当たり前のことに感謝し、家族や仲間を支えに生きていく、そんなシマッチュの心でありました。

ご来場頂いた皆様、ありがっさまりょうた!


文と写真 渡辺陽介







第三回シマッチュ先輩の情熱教室 マザーホーム代表・深田剛の授業まとめ(1)


頼まれごとは試されごと マザーホーム代表・深田剛




第三回の「シマッチュ先輩」は、島で住宅・建築を中心としてさまざまな事業を展開する「マザーホーム」代表・深田剛。平成23 年から25 年までの3 年間、奄美群島で一番多くの家を作り、同3 年間、木造住宅用アルミシャッター出荷量が日本一。そして介護、エネルギー、金融、不動産、IT など関連11 事業部、35 名の従業員を抱える40 歳の若社長…!

こうして記述すると絶好調のやり手経営者のように見えますが、そうではありません。実は深田剛は「しーまブログ」編集長・深田小次郎の実の兄であり、これまで数々のビジネスの失敗、どん底を側で見て来ているだけに、当初「関西在住シマッチュ実行委員会」から「シマッチュ先輩」への出演推薦を受けた際には恐れ多いこととして、お断りをしていました。

しかし深田剛の信条でもある「頼まれごとは試されごと」の言葉を胸に、何かしらお役に立てればとの思いから、嬉し恥ずかしの登壇と相成ったわけです。



▲司会に抜擢された若手シマッチュ。会場には先輩方が多く緊張していたらしいですが、見事大役をこなす。


寝坊で土下座の役者時代
深田剛は大島高校卒業後に上京、専門学校で土木工学を学びます。しかしここでなぜか脇道に逸れ、役者の道へ。国立劇場で某有名歌舞伎役者さんの舞台にひっそりと出演したりしていました。役者生活では舞台当日に豪快に寝坊し、某有名歌舞伎役者に土下座をしたという武勇伝の持ち主でもあります。
やがて実業の世界に憧れを抱き、まずは23 歳で東京の建設現場で鳶(トビ)職に。しかし高所作業のあまりの過酷さに「図面が読めれば登らなくていい」という教訓を得て、夜間学校で建築士の資格を取得します。
25 歳で島へとU ターンし、父の会社(深田建設)へ入社。先行きの見えない島の土木・建設業界を舞台として、ビジネスをスタートさせます。


▲今でこそスーツを着ているシマッチュ先輩ですが、若かりし頃には紆余曲折がありました。



▲授業に聞き入る会場の皆さん。島のビジネスの話をじっくり聞けるのが、情熱教室の醍醐味。


失敗列伝、死亡説が流れた実業家初心者時代
20 代の頃から独立心こそ旺盛だったものの、当時の深田剛はビジネスのド素人。以下に、現在に至るまでの失敗
ビジネスの数々を挙げてみます。

・東京・神田の古本屋で「あなたの思い出の本探します」サービスを開始するも、一冊も見つけられず!
・黒糖焼酎の営業代行「ふるさとショップふかだ」失敗!
・東京の園芸店にソテツを売ろうと置いてもらうが枯れてしまい全滅!怒られる!
・ワインの空箱が売れることに気がつき渡米、ワイン箱を求めるも段ボール箱を渡され無念の帰国!
・リフォーム会社「ベンリー」を立ち上げるが一件の問い合わせもなし!
・新素材の住宅を扱うも1 棟しか売れず!


ついには31 歳の時に精神的に追い込まれぶっ倒れてしまい、死亡説が流れる程のどん底も経験します。やがて「8 勝7 敗」の人生により、なんとか現在のブランド母体「マザーホーム」を立ち上げ、軌道に乗せることとなるのですが、当時の失敗の連続から学んだ教訓、気付きが現在のビジネスを行う際の礎(いしずえ)、決断を迷った時の判断基準となっています。
次の記事では深田剛が七転八倒の末に獲得したビジネスの教訓をご紹介します。島でビジネスを、と考えている方には何かしら参考になる部分があるかと思いますので、是非ご一読下さい。


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文と写真 渡辺陽介






初の関西開催!「シマッチュ先輩の情熱教室」in 大阪







ご好評を頂いている「シマッチュ先輩の情熱教室」は、今回で早くも三回目の開催。島の内外で活躍する「シマッチュ先輩」をお呼びし、これから何かをやりたい!島で仕事がしたい!という想いを持つシマッチュに向けて、特別授業を行います。

普段はなかなか聞くことが出来ない先輩たちのシマッチュならではの苦労や体験談、島の経済の現状などが聞ける貴重な場となっております。
初の大阪開催となった第三回は、「関西在住シマッチュ実行委員会」と「しーまブログ」の共催という形で行われました。

もともと大阪には奄美群島からやってきた人が多く住んでいますが、これからを担う島の若者同士の繋がりという意味では、それほど強固なものがあるわけではありません。

今回は「関西在住シマッチュ実行委員会」の皆さんの強い牽引力があっての大阪開催であり、今後の関西・シマッチュ連携の盛り上がりを予感させる、とても楽しい集まりとなりました。

以下、当日のイベント風景を写真にてご紹介します。「情熱教室」の詳しい授業内容については別記事にまとめてありますので、是非ご一読下さい。

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▲「関西在住シマッチュ実行委員会」「奄美ふるさと100 人応援団」の川島さん。関西若手シマッチュの集いの中心人物です。とても優しい兄ぃ。



▲会場の設営も実行委員会メンバー手作りで。今回の会場は道頓堀沿いのオシャレなイベントスペース「LINC MINAMIHORIE」。



▲受付準備中。メンバーそれぞれが持ち場で役割を果たします。



▲授業の後は懇親会。皆さん意外に照れ屋(笑)なので、とりあえず飲む!



▲業種、世代を超えて話が出来るのが懇親会のいいところ。方々で名刺交換、アドレス交換が行なわれました。



▲懇親会ではモノ足りず、打ち上げへなだれ込み。この日の会場は道頓堀近くの「奄美徳之島・沖縄料理 島唄ライブ おぼらだれん」。陽気な店内の空気が素晴らしかった。



▲飲んだら唄ってしまいます。この日の情熱教室司会者・ともき君は島唄の歌い手でもありました。



▲で、唄が始まれば踊りの輪が。奄美+大阪という相乗効果か、みなさんノリがいい。


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文と写真 渡辺陽介







第二回シマッチュ先輩の情熱教室


文と写真 渡辺陽介

世界的建築家が、故郷・シマとの向き合い方を教えてくれた
さまざまな分野で活躍する先輩のお話が聞ける「シマッチュ先輩の情熱教室」。二回目のゲストは、世界で活躍する奄美大島出身の建築家・山下保博さんに来ていただきました。

奄美を出て首都圏に暮らすシマッチュを中心に、会場には多くの方が集まりました。シマの海をキレイにしたい!という会場からの声に、山下さんが愛を込めて具体的な提案を返すなど、まさに「情熱教室」と呼ぶにふさわしい議論が交わされました。



▲情熱教室二回目のゲストは、建築家の山下保博さん。とても気さくな兄ィなのですが、実は世界的に評価されているスゴい方なんです。


■故郷は遠くにありて思うもの?

山下さんが掲げた今回の授業テーマは、「建築家の役割とシマに向き合うこと」。

3.11の東日本大震災をきっかけに、自身の故郷である「奄美」と向き合うようになったという山下さん。愛する「故郷」に対する複雑な距離感は、会場に詰めかけたシマッチュとどこか共通するところがあるようです。会場の多くのシマッチュたちも、現在は山下さんと同じように外から奄美のことを見ている身。シマを離れて内地の風に揉まれて、やがて改めて故郷を思った時に、かつて見ていたものとは違う、新しいシマの姿が見えてくるようです。

山下さんの建築の仕事は世界的に評価されていますが、素人が言葉で理解するのはなかなか難しいと言われています。主催者側としてはその辺りの心配もあったのですが、授業はスライドを見ながら、非常にわかりやすい言葉で進みました。



▲スライドを使った授業。建築の知識がなくてもわかりやすい、丁寧な説明でした。

■捨てられていた地域の素材が、実は「宝」だったりする

山下さんの建築の大きな軸の一つが、「素材の開発」。建築というのは、新しい素材が開発されるとデザインの可能性が一気に広がります。例えば、最近よく見る都会の一面ガラス張りのビルなども、柱の代わりに「構造体」として強度を計算できるガラス素材が開発されたからこそ、実現できるデザインなのです。

山下さんは素材の開発に大きな情熱を注いでいるのですが、その目的は建築を「カッコよく」するためだけのものではありません。地域に埋もれて捨てられている素材を発見し、新しい建築の素材へと転化させることで、地域に新しいビジネスや価値を巻き起こす。時にはそのための起爆剤、装置となり得るものとして、建築を捉えています。



▲イタリアの「パンテオ」。こんなカッコいい建築が2000年前のものだなんて…!

この日お話があったのが、イタリアの「パンテオ」という2000年前の建物。屋根部分がコンクリート(2000年前なのに!)で造られているのですが、実はその強度を支えていたのが、コンクリートに配合されていた火山灰の「シラス」だったのです。

「シラス」といえば鹿児島県では「厄介者」として有名。現在山下さんは大学などと協同して、強度を持ち、環境にも優しいシラス入りのコンクリートの開発に取り組んでいます。

「シラスが降れば傘をさす」。これがネガティブな意味で使われているのが現状ですが、シラスのコンクリートが市場に流通するようになれば、傘を「逆さ」にしてみんながシラスを集めるようになる。そんな夢のような、でも遠い夢ではないお話をしてくださいました。


■建築は問題解決の起爆剤


▲エチオピアの日本文化会館。価値がないと思われていた物に命を吹き込むのが、山下さんの仕事の真骨頂。

もうひとつ象徴的なのがエチオピアでの仕事、「日本文化会館」。日本の島根で捨てられていた120年前の古民家の素材を現地に持っていき、それを元にエチオピアの伝統建築様式である円形の住居をつくりあげました。

「日本文化会館」だからといって「日本」を誇示するのではなく、地元で価値が認められていないもの(この場合はエチオピアの伝統建築スタイル)の「視点」を少しだけ変えて、本当は価値があるものなんだよ、と彼らに気付きを与える。この場所でショップを開いていいですよと声を掛けたところ、30倍以上の倍率で応募が殺到したといいます。見飽きていたはずの円形の住居に、エチオピアの人々が新しい価値を感じたのでしょう。

「僕はあなたたちに日本を渡したわけではなくて、あなたたちの技術を使って日本人の知恵を渡したつもりなんです。」これは文化会館のオープニングの際に山下さんが現地の人に送った言葉です。この言葉に、山下さんが考える建築の姿が現われているように思います。

ちなみにこの文化会館。建物そのものが水の浄化システムにもなっていて、この建築を通して人々の生活の質が変わる、そんなストーリーがデザインに組み込まれています。

エチオピア・ミレニウム・パビリオン(アトリエ・天空人HPより)
http://www.tekuto.com/works/2009/145/info.html

■キレイな海を取り戻すために


▲この日は山下さんから会場に「宿題」が出されました。
「シマ」らしい自然、街、村とはどんなものか。シマのどこを良くしていけばよいか。それぞれの問題意識を問いかけます。



「価値がない」と思われている物を新しい視点から観察し、新たな「価値」を与えること。これこそが山下さんの仕事の大きなテーマであり、この日の授業の主題でもあります。

身近に有りすぎて気が付かない地域の「宝」に、少し外の視点を持った人間が新しい視点を吹き込む。会場にいるシマッチュたちにも、シマを離れて初めて見えてくるシマの姿があるだろうと思います。

授業の終盤、会場との質疑応答で、砂浜が消え続けている奄美の海岸の話になりました。シマの先輩女性から出た、「キレイな海を取り戻したい」という切実な声。これに対し、山下さんは貴重な提言をしてくださいました。


▲山下さんの「宿題」で火が付いたのか、会場では熱い意見が飛び交いました。
やはり皆さんのシマを思う気持ちは強い!


まず、「否定はしない」ということ。土木事業であるテトラポッドもコンクリート護岸も、人々の生活を支えている大切な仕事であることは事実です。その上で、今度は海を再びキレイに戻すような土木事業にお金を回せないか。土木業者の仕事をただ否定するのではなく、新しい仕事を生み出すことで、共存共栄の道を探るという提言です。これも先ほどの「シラスが降れば傘をさす」と同じで、マイナスをプラスに転化する思考方法と言えます。

シマの過疎化に対しても、決してシマに魅力がないから起きているわけではないとおっしゃっていました。もっと単純な話で、生きる術の仕事がないだけだ、と。シマを美しくしていくことも大事なことだけれど、それと同時に生きる術のビジネスを起こしていくことがとても大切。そのためには「シマの宝」を生かすための、視点を変えた提案ができる人材が必要とのことでした。



▲授業の後は、恒例の懇親会。年齢を飛び越えた交流が、新しいシマの動きを創り出します。

■シマの外にいる者の強み

会場のシマッチュの多くは、シマのために何かをしたいと思っているようです。しかし、シマから離れてしまったことでどこか罪悪感を持ったり、「自分はシマの外に居るから」という遠慮の気持ちもあるのではないでしょうか。

今回の授業では、必ずしもシマに居続ける人達だけがシマの未来を創っていくのではなく、それぞれの立場、経験を強みにして、多様な視点を持ち寄ることの大切さを教えられた気がします。また、違った視点を持っているということは、各人にとって大きなチャンスであるとも言えます。

そして、3.11以降の大きな流れである「自分が出来ることをやる」こと。これまでマスメディアやその道のプロに任せっきりだった日常の様々な事柄も、もう一度自分のコトとして考え直して、自らがそのプロセスに積極的に関わっていくことも大切でしょう。これはシマに限らず、内地の生活においてもとても大切な視点のように感じました。

山下先輩、貴重なお話をありがとうございました。本当に楽しい時間でした!


▲懇親会の準備は来場者の皆さんにも手伝って頂きました。いつも支えて頂き、ありがとうございます。


▲この日は先輩女性陣から心のこもった差し入れも。やっぱり手作りは美味しいです。


▲この後、打ち上げへ。山下さんも交えて、みっちりシマトーク。懇親会だけで物足りない人は是非打ち上げにも来てくださいね。一気に仲良くなりますよ



オマケ(^_^;)
その後の打ち上げでもやっぱりシマトーク!白熱した議論はここでも!






シマッチュ先輩の情熱教室


■文と写真 渡辺陽介
先日、東京在住の若手シマッチュとしーまブログが共催で、本土復帰60周年を記念して、東京でイベントが開催されました。その名も「シマッチュ先輩の情熱教室」!!









イベント冒頭の「しーま編集長」挨拶では気合いのあまり話が長くなりすぎてしまい(すみません)、会場全体が吉本新喜劇的にズッコケてしまいました。
しかし、それもこれも編集長渾身の企画だからこそ。20代の頃、人生のどん底で感じた「島の先輩の話が聞けたら」という想いが、ようやく形になりました。





記念すべき第一回の「シマッチュ先輩」は、奄美を拠点に世界で活躍されている園田明先輩。なんと当日、奄美大島から駆けつけて下さいました。


イベントは東京の「世田谷ものづくり学校」で開催されました。前半は園田さんの業績をビデオにて鑑賞、その後、講演をして頂きました。後半は奄美出身のシンガー・我那覇美奈さんをインタビュアーに、園田さんとのトーク、来場者との質疑応答の時間。イベント後は懇親会が開かれ、来場のシマッチュ同士の交流が深まりました。楽しかった!

なお、園田さんにはもっとたくさんのお話をして頂きたかったのですが、時間の関係上バタバタとしてしまった事は心苦しい限りです。





◎園田明先輩とは…

園田さんは5年前にバスケットボールのブランド「バイオレーラ」(株式会社アイズ・カンパニー)を設立。その後わずか五年で奄美に本社、中国に工場を、それにカリフォルニア、鹿児島、埼玉、千葉に支社を構えるグローバルな企業へと成長させます。「バイオレーラ」は創立一年でABAバスケットボールリーグ「サクラメントヒートウェーブ」のユニフォームに採用、その後「レノヴァ鹿児島」ほか多数のチームに採用され、マーケットを広げています。同時に今でも、子どもたちに離島のハンディを感じさせないように、と奄美に小さなバスケショップをオープンさせた当時の原点の思いを持ち続け、島のために何ができるのか模索を続けています。

現在では同事業の他に、NPO法人「ASA奄美スポーツアカデミー」理事長、プロバスケットボールチーム「レノヴァ鹿児島」の球団代表にも就き、奄美から日本全国、アジア、世界を相手に日々活躍されています。




こうして経歴をご紹介すると輝かしすぎて何だか恐縮してしまいますが、実際にお会いした明兄はダジャレ好きのとても気さくな「アニキ」。ブランド「バイオレーラ」は「by俺ら(ばいおれら)」が由来らしく、園田さんのダジャレ好きはどうやら本気です。講演は熱いながらも終始笑いに包まれ、楽しいものとなりました。以下、講演内容を要約します。



■内向的な少年を変えた、バスケとの出会い


園田さんが現在、自信を持って自分の道を歩み続けているのは、バスケとの出会いがあったからです。

1歳の時に、英語が得意だった母と二歳うえの兄とともに沖縄から奄美に帰ってきた園田さんでしたが、当時の奄美には英語を使った仕事などなく、母子寮に住みながらの貧しい幼少時代を過ごしました。小学生になると、アメリカ製のアイロンでかけられたパリッとした服を着ていたことなどから辛いイジメの標的となり、追いつめられては海を見ながら「なんのために生きているんだ」と悩み続けました。

中学進学時に身長が140cmしかなかったことから、兄に「お前はバスケかバレー部に入れ、そしたら身長伸びていじめられんくなるから」と言われ、入ったのがバスケ部。それからは余程バスケが合っていたのか、背は伸び、友達はでき、三年生時には県大会でベスト4、高校では国体・インターハイに出場するまでになります。高校進学時に一年浪人するなど苦難も経験しますが、バスケで自分を変えられるんだというこの時の体験が、後の人生を大きく切り拓いていくことになります。

また、本土遠征時に感じた離島のハンデ、逆に離島だからこそ体験出来たさまざまなことが、現在でも奄美をベースに仕事をする原動力になっています。



■これぞシマッチュ先輩の情熱教室!


講演では、園田先輩が苦難の少年時代から起業後の格闘までを通して得た「気付き」を、キーワードごとに説明してくださいました。これから何かをやりたい!という人にとって、先輩の熱い言葉の中にはたくさんの大切な視点が詰まっていたように思います。以下、要点をご紹介。

▲向かってくる矢印は貰ってしまう

どうしても生きていると、陰口や文句を言われる場面に遭遇します。そんな時に、自分に向いてくる矢印をそのまま相手に返すのではなくて、その負の力も「ありがとうございます」と貰ってしまえばいいとのこと。真剣にそんなことを言ってくれるのはあなただけですよと言えば、その人は「いやいやあ、応援してるからよ」と言ってくれたりします。人に何を言われても、自分は言われるようなことをしていなければ、胸を張ればいいわけです。

そして、園田さんの母が言っていたのが「他人の成功は自分のことのように喜ぶ」こと。「そしたら自分が頑張ってよくなった時に、周りの人たちも自分のことのように喜んでくれるよ」。

これは次の項目、「自己受容」にも繋がる考え方です。



▲自分自身がどれだけ好きですか?「自己受容」のはなし


「自己受容」は出来ることも出来ないこともひっくるめて、どれだけ自分を好きでいられるかということ。会場に「自分自身を100%好きという方はいらっしゃいますか?」と園田さんが問いかけると、ちらほら手が挙がります。「じゃあ、90%の人」「80%」…「50%以下の人」。それぞれに手が挙がります。

自分のことを70%好きな人は、残りの30%の自分を受け入れられない。そういう人は他人に対しても同様に、他人の30%の部分を受け入れられないのではないか、というのが園田さんの考え。

つまり、100%自分が好きで「自己受容」が出来る人間になれば、他人をも理解出来る「他者受容」に繋がっていくということです。むむう、これは難しいけれど、真実かもしれない…みなさんは自分の何%を好きだと言えますか?

もっとも他者受容といっても、ただ他人に賛成するのではなく、例えば怒っている人に対してナンデ怒っているのかね、この人は、と相手の気持ちを少しでも理解するような気持ちになった時に、他者への声掛けや自身の考え方も変わってくるといいます。

▲大変=「大きく変わる時」


小学生は勉強が大変、弟妹がいれば世話が大変。大変という言葉にはマイナスのイメージがありますが、実は「大変」を乗り越えた時に自分が大きく成長できていると考えると、大変な時があったほうがいい。「大変」は自分に与えてもらった試練であり、チャレンジして乗り越えればもっと大きな自分に巡り会えると考えたほうが得ですよ、とのこと。

大変=「大きく変わる時」と考えれば、壁をマイナスのイメージとして拒否することなく、挑戦する心が芽生えます。

▲「イメージング」と「念ずれば花開く」



母子寮にいた幼い頃、おもちゃを買えなかった園田さんはチラシの切り抜きを厚紙に貼って、それをポケットに入れて遊んでいるイメージをしていたそうです。

ああなりたい、これが欲しい、と思い続けていれば、自分がそうなるための情報が自然にアンテナに引っかかってきます。思わなければ素通りしてしまう宝の山も、本気でそう思うかどうかで「宝の山」に見えたり、ただの「ゴミの山」に見えたり、全然違ったものに見えてきます。

そして、思い続けたらただ思うだけではダメで、当然、一生懸命努力することも大切。園田さんの好きな言葉は、

「念ずれば花開く」

だそうです。前述した「イメージすること」「努力すること」はもちろん大切ですが、この言葉でもうひとつ注目したいのが「念」という字です。金八先生の「人という字はぁ~」ではありませんが、「念」の字は「今」の「心」と書きます。

過去を引きずるでもなく、明日を心配するでもなく、「今」を生きることの大切さを園田さんは強調します。「今」の積み重ねが明日を創っていくわけです。

「いま頑張らんでいつ頑張んのっち 今だろっちって!(ビシッ)」

この決めゼリフ、園田さんは当日、三回ほど言っていました。むしろ、このセリフを言うために会場に来たそうです。ちなみにオリジナルだと主張されていましたが(笑)、気のせいかどこかで聞いたような気もします。

■暗い顔をしないこと!


さて、奄美の六畳間からスタートし、素晴らしい実績・業績を残し続けている園田さんですが、ご本人は「何もしていない」と謙遜されます。曰く、たまたま巡り合わせで中国工場の息子さんと知り合ったり、素晴らしいデザイナーさんが手伝ってくれたり。自分がスゴいわけではない、と。

ただ気をつけているのは、例えお金がなくとも、決して暗い顔をしないことだそう。人間はどこで誰と繋がっているかわからないので、暗い顔をしていたら話しかけられなくなってしまい、出会いの機会を逃すことになるからです。こ、これは身につまされる話です…。

■奄美について
仕事を通して離島のハンディの解決法を模索しながら、世界にも目を向ける園田さん。最後に、現在の奄美の置かれている状況について、奄美に拠点を置くことにこだわり続ける園田さんならではのお話を。

園田さんが奄美にこだわる理由は、何よりも奄美に住む素晴らしさを感じているからこそ。「離島のハンディ」というのはよく言われますが、奄美に住んでいるからこそ出来ることもたくさんあり、それらを奄美から発信していくことは素晴らしいとおっしゃいます。

奄美は「へそ」だというのが園田さんの持論。地球は丸いビーチボールのようなものだから、東京や世界に元気がなくなったら奄美から空気を入れればいい。奄美は「アジア」という広い視点で見た時に、素晴らしい場所に位置しています。



今後世界はグローバル化し、発展するとしても、その根底では地域、地方がしっかりしたことができていないと当然、大きなことはできない、と園田さんはおっしゃいます。一人でやるのは大変ですが、奄美を思う気持ちを集結することによって、これからの若い人たちの力を合わせて、いろいろな物事を発信できる。人と人を結び合いながら何か物を生み出す事に携わって生きていき、自分を育ててくれた奄美に恩返しがしたいそうです。

■第一回「シマッチュ先輩の情熱教室」はいかがでしたか?
子どもにばかり夢を語らせないで、大人が夢を語れるように。そんな社会を大人たちがつくっていくためにも、会場に来てくれた若いシマッチュが夢を語り始めるきっかけになってくれれば。そんな「情熱」が少しでも伝わっていれば、第一回「シマッチュ先輩の情熱教室」はひとまず成功だと思います。(至らぬところはありましたが、楽しんでいただけましたか?)


おまけ・・・
■懇親会
講演後、園田さんを囲んで懇親会を開催しました。
黒糖焼酎を片手に、お互い初めて合う人も同郷のシマッチュということで大変盛り上がり、中々乾杯の音頭をとれないほど(^_^;)
次回は9月に開催予定しております。島と在京シマッチュとをつなげるキッカケになれば幸いです。